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【文Ⅲ→文学部社会学科】文系の僕が街づくりに携わり、地方移住した理由

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今回は、柳澤拓道さんのインタビューvol.1をお届けします。
柳澤さんは文科Ⅲ類から文学部社会学科に進学し、UR(都市再生機構)で12年間勤務されたのち、現在は休職し長野県佐久市で地方創生へ注力されています。

── 文科Ⅲ類で入学されたとのことでしたが、それにはどのような理由がありましたか?

中高で勉強を重ねる中で、自分は理系向きではないと感じていました。入学当時は法学や経済学のような現実社会に直結しているものや、「世の中のため」になることを考えるよりも、哲学のような社会から少し離れたものに興味があり、そういった科目を学ぶなら文Ⅲだろうということで、文科Ⅲ類を選択しました。

僕は音楽がずっと好きだったのですが、音楽も何のためにやっているのか?というと、それは社会に役立つからではなくて、単にそのものが美しいからです。それ以上でもそれ以下でもない。学問でも同様のものがあっていいだろうと、そういうことを考えていました。

── 前期課程での履修はいかがでしたか?また課外活動は何かされていましたか?

前期課程の履修システムのおかげもあり、哲学に始まり理系向けの相対性理論や量子力学の初歩を学ぶような授業を履修したりと、幅広い科目を学びました。まあ大鬼の授業は避けましたが(笑)。

課外活動ではフィロムジカ交響楽団に所属し、中高時代から続けていたチェロの演奏に励みました。フィロムジカ交響楽団は部活ではなくサークルだったので時間の余裕はそれなりにあったのですが、僕はチェロを弾くのが本当に好きだったので活動時間外でも友人と少人数で集まって演奏するなど、音楽に没頭した生活を送っていました。

あれだけ自分の好きなことを好きな時に好きなだけできる時間って学生時代が終わるとそうないので、とても貴重だったと思います。今ではチェロをきっかけとして他の人と繋がることができたり、その繋がりが回り回ってお仕事につながったりもしています(笑)。

就職を意識すると、どうしても社会とのつながりを求めたくなると思いますが、そもそもつながろうとしている社会が正しいかどうかだってわからない笑。徹底的に社会から離れてみるのも面白いのではないでしょうか。そこまで思索できる時間があるのが、学生時代の特権だと思います。

【文Ⅲ→文学部社会学科】「好き」と「本質的」を追求し続けた駒場時代 ~柳澤さんインタビュー vol.1~
学生時代の音楽の探究が現在も人とのつながりを広げている。

── 進学選択では文学部の社会学科を選ばれたとのことでしたが、どうしてこの学科を選択されたのですか?

学者になりたいという思いの一方で、就職しないといけないという事情が見えてきて、これまで大学1,2年を通して学んできた哲学を、その段階でようやく社会に接続させてみたらどうなるのだろうかということに考えが浮かびました。社会学であれば幅広く社会を捉え直すことができますし、社会そのものを観察したり疑ったりすることもできるので、今までの社会に対する穿った見方を社会学を通じて自分なりに整理してみようという思いを抱くようになり、進学先を社会学科に決めました。

── ちなみに他に検討されていた学科はありましたか?

教養学部の国際関係論コースも気になっていましたが、そこは社会自体より政治に関する研究が多い学問分野でした。社会学ではシニカルに社会を見ている人がたくさんいるので、自分の培ってきた穿った見方は社会学の方がよりフィットするだろうと思いました。

── 社会学科に進学されてからは具体的にどんなことを研究されたのですか?もし進学前と比べて学ぶ内容にギャップなどがありましたら、そちらもお教えください。

はじめは、社会学は社会をマクロ的に捉えられる学問として認識していました。要するに、上から俯瞰して社会がシステムとしてどのように機能しているかを捉えるものだと思っていたんですね。実際に社会学にはそういう側面もあるのは事実ですが、しかしこの考え方は社会学の主流の中ではとっくに頓挫していました。社会学者も社会の構成員の一人に過ぎないし、あまりにも広すぎる社会を一元的に論じることはできないのです。では社会学は何をできるのかと考えたときに、社会の中に入った観察者として自覚を持ちながら、人々の言説を通してそれぞれの人から見た社会を論じていく、という手法が望ましいと思い、実際この考え方が主流となっていました(=社会構築主義)。そのため卒業論文においても当初は「自分の視点から見た社会を記述するんだ!」と意気込んでいたものですが、結果的には著作権法と音楽の関係性を明治時代から言説分析するというテーマ・手法で論じました。著作権法はもともとヨーロッパ発祥のものなので、日本人がどのように受容し、これを受け入れる過程で日本の音楽にどのような影響を与えたのかを考察しました。

── 柳澤さんは本当に多くのことを深く考えていらっしゃったようですが、学部卒で就職するのではなく、大学院に進学するお気持ちはなかったのでしょうか?

実は当時、学部卒で就職するのか大学院へ進学するのかを迷っていました。この二者択一の迷いに決断を与えてくれたのは、先に述べた社会構築主義の考え方でした。つまり社会を学者という目線から見るよりも、社会に出ていきその中から社会を観察した方が、ある意味でより本質的に社会を知ることができるのではないか、ということです。こうして、まずは3年間働いてみようという思いで、就職活動に踏み切ることにしました。

就活における軸に関しては、私はお金稼ぎには興味がなかったので、公務員・インフラ系・まちづくり系・電鉄系など、人々の生活の根幹をなすお仕事に関わりたいと思っていました。

── 就活で苦戦された記憶はありますか?

意外と大変だったという記憶があります。絶対通ると思っていたところでうまくいかないこともありました。自分がお金への興味が薄かったこともあり、面接官には公務員向きの人材として捉えられていたようです。例えば電鉄系の面接で自分は「ローカル線で何かやりたい!」といったようなことを述べたのですが、彼らとしては不採算のローカル線の廃線を考えている。その思いを汲み取りつつも、本心としてそうした自分の興味を語ってしまう自分。ビジネスの最前線にいる企業の人事さんとお話をすると、やっぱりそこの価値観のミスマッチというのがどうしても避けられず、辛かったですね。


── 最終的にUR(都市再生機構)をお選びになった理由を教えてください。

URのプロジェクト採択基準は、社会のためになることであるのなら、大きな利益が出ないとしてもマイナスでさえなければやってもよい。という価値観を持っている会社だと感じました。この点で他の企業と比べ、自分の価値観とあまり違わないと感じました。他の企業の面接中にも「君はUR向きだよね」と言われたこともあったぐらいですから(笑)。そうした中で最終的にURへ入社することを決意しました。


── 実際に入社される前と後で、想像していたお仕事にギャップ等はありましたか?

主に首都圏の大規模事業に携わらせてもらったのですが、企画や事業に携わった大きなプロジェクトが形になっていくことに喜びを感じつつも、今自分が関わる事業は本当に世の中のためになっているのか、ということに葛藤を感じることもでてきました。

また自分の担う業務内容に関しては、企画・技術面での貢献を希望していたのに事務職(バックオフィスを担う仕事)と技術職(まちづくりの企画・事業を担う仕事)を行ったり来たりする日々が続き、それがもどかしかったです。国交省を監督官庁として設立された組織なので、文系なら事務職、理系なら技術職という固定観念が根強く残っており、(自分の希望は割と叶えてもらったほうなのですが)まちづくりに特化して働き続けたかった私にとっては、事務側の作業も担う必要があるのが少し大変でした。今では民間のデベロッパーだと文系理系を分け隔てなく配置されているらしいですけどね。


── まちづくりというと、工学部の建築学科や都市工学科などをイメージしますが、入社後に専門分野の知識の差を感じることはありましたか?

周りには一級建築士の資格を有している人も多かったので、建築面での知識不足が故に会話に参加することができない場面もあり、それは苦労しました。とはいえ、事務職と技術職と言っても、学生生活におけるたった2-4年間の差ですから、長い職業人生を考えるとそこまで大きな差ではないと思います。だからこそ文系理系という分け方に不満を持っていたというのはありますね(笑)。

また大学で学ぶ街づくりと実際デベロッパーが展開する街づくりは別物だと感じました。

デベロッパーが担う実際のまちづくりは、企業やステークホルダーにとっての経済活動であり住民にとっての政治活動でもある。経済活動である以上どうしても採算重視になりますし、行政手続きや補助金のためにアカデミックな議論を「利用」する側面もあります。学校で学ぶプラトニックな「まちづくり」というのは実際にはあり得ないので、社会と接続したときに、正論だけでは通らない部分をどう調整するのかは難しいと感じます。


── 入社して1年後に配属が変わり、あまり希望していなかった事務方の担当となったとお伺いしました。当初は3年間やってみようと、そういう気持ちで就職されたとのことでしたが、転職を考えたりされる機会はありましたか?

3年ぐらい働いていくと徐々に感覚が麻痺していくというか、組織に慣れていったんですね。3年で転職する人も多いと思うのですが、組織に適応したことで、もうちょっとやってみようという思いが生まれてきました。自覚しない間に組織の人間になっていくので、怖いですよね(笑)。自分の怠慢を棚に上げて言いますが、これは日本型組織の悪いところでもあると思っています。自分の個人としての声を失い、自分の考えの中に組織の考えが入り込んでくる。僕も考え方が「URの柳澤」としてのものにシフトしていきました。

でも個人としての声があったうえでの仕事じゃないとつまらないしと思います。海外では行政でもプロジェクト単位で人を雇っていることを知りました。日本でもデジタル庁などでこうした採用方式をとっているみたいですが、まちづくりの分野においてもそういう動きがあってもいいですよね。もっと流動性があるといいなと思っています。


── そんな中で国交相へ1年間出向されたと思いますが、官庁で働く1年間はいかがでしたか?

外から会社を見るというのは非常にいいなと感じました。僕は再開発法と区画整理法の法律改正・税制の改正延長を担ったのですが、1年出向したことで、外からURのやり方を見つめ直せたのはいい機会でしたね。


── 別の視点に立つことで気付くこともたくさんあるのでしょうね。国交相からURに戻ったあと数年働いたのち、大学院に進学されたと伺っていますが、なぜこのタイミングで大学院を選択されたのでしょうか?

入社10年目で子供が産まれたのですが、まもなく妻が仕事に復帰することになりました。子育ての一部を任された中で、育休という選択肢が浮かびましたが、大学院は比較的時間に融通の利くという情報も耳にしていたので、せっかくなら育児と勉強を両立させよう、という思いに至り、公共政策大学院で学びを深めることにしました。ここでは1年間政策研究を行い、修士号を取りました。経済学や統計を用いてまちづくりを分析する中で、科学としてのまちづくりとは何だろう、ということを考えるようになりました。


── 家族のことを大事にしながらも、常に学び続ける姿勢を私たちも見習いたいです。

文系の僕がまちづくりに携わるようになって ~柳澤さんインタビュー vol.2~

── その後URに戻り、都心のまちづくりを2年担当されたとお聞きしています。この後に長野県佐久市への移住を決意されたわけですが、そこにはどのような思いがあったのでしょうか?

この頃「誰のためにこの建物建てているんだろう。誰が幸せになっているんだろう。そもそもこの事業をURがこれを担う必要があるのか。もっと地方には困っている場所・人々がいるのに、なぜ自分は都心の事業を担当しているのか。」といった思いを強く抱くようになりました。URでは12年間ずっと東京で働いていたのですが、東京のコンテンツが飽和してきているのを感じ、消費を喚起するためのブランディングやマーケティングを行っている事業などにも嫌気が刺してきたんですね。

人間として根源的に必要なのは何だろうか?と考えた時に、エッセンシャルワーカーにお金が行き届いていない現状に違和感を感じたり、と様々なことを考えました。

そんな中で、大都市東京はそもそも日本全国からコンテンツや素材が集まって形成されているわけなので、地方で面白いコンテンツや素材を生み出してそれを東京へ輸出する形を取らないと、東京も地方も限界に来てしまうと考えるようになりました。加えて、子育てする中で、東京は走り回る場所もないし窮屈だなと、感じるようになりました。

こうして2019年の秋に移住を決断し、2020年の6月に実際に佐久市へ移住しました。

辞職も決意していたのですが、地方でまちづくりに携わるのであれば休職という形でもいいのではないか、とお世話になった先輩方のアドバイスやサポートをいただき、結果休職という形をとっています。私のわがままな動きを「休職」という形で送り出してくれた会社の新しい可能性を感じますし、私も何らかの形で組織にも貢献し続けていきたいと思っています。


── 今の東大生は”東京”に居続けたいと思う人が多いように感じているのですが、地方に移住されることに不安はありませんでしたか?

確かに不安に対するリスクヘッジは必要だと思っているのですが、僕の場合は妻がどこに行っても働ける専門的な仕事をしていたので、自分は主夫業と並行しながら最大のリスクを冒して行動することができました。今は共働き世帯の方が多いので、リスクヘッジを取りつつ夫婦のどちらかはチャレンジしてもいいのではないかと思います。そのチャレンジの矛先が地方だとしたら嬉しいですね。


── 佐久市に移住されてからはどのような活動をされているのですか?

ワークテラス佐久というコワーキングスペースの企画運営と、佐久市と共同で関係人口を増やす活動、鉄道会社との共同プロジェクトなどをしています。コロナが追い風になっているのもあるのですが、主に「地方で面白いことをやりたい!」と考える東京からの移住者に対しての場づくり、そのための施設やイベントの運営をしています。ワークテラス佐久の会員も提供を開始した1年前から6倍ほどになりました。また各種イベントも開催しているのですが、ローカルシフトをテーマにした合宿を開いたら参加した7名のうちなんと4名が移住するなど賑わいを見せています。

地方移住のすゝめ「地方から日本を変えていく。」 ~柳澤さんインタビュー vol.3~
佐久でのプロジェクトのメインビジュアル

── それは本当にすごいことですね。

東京でモヤモヤを抱えて何となく移住したいんだけど踏み出せない、不安があるという人がそうしたイベントを通して地域の人と繋がり、心の整理をつけ移住を決意することも多いようですね。人口減少自体は歯止めがきかないのでそれ自体は問題とは思っておらず、一方で少しでも移住を考えている人を受け入れる体制が地域側に整っていないことが現状の課題だと思っています。ハード面を整えつつもソフト面でのサポートもしていきたいですね。

それと並行して移住してきた人が東京でのお仕事に加えて(副業としてで良いので)その地域の活動を担うような仕組みづくり・制度作りも行っていきたいと思っています。そうすると人口は減ってもクリエイティブな生産労働力が地域にも入り、街に新たなアイデアが生まれてくると信じています。旅行業の延長としての「ワーケーション」という言葉が一人歩きしていますが、僕らが目指しているのは「コワーケーション」。会社組織に命令されて作業をしに地方に来る人ではなく、個人の思いで地方に来て人と繋がって何かをやりたい、という人を受け入れて一緒に何かを生み出していきたいと思っています。


── これまでは地方移住のお仕事の側面に関してお伺いしてきましたが、移住後の生活に関してはどのように感じていますか?

天国みたいですね(笑)。最高です。仕事上の課題がなければ地方に行かない理由がないぐらいに居心地がいいです。特に子育てをしている人にとってはリモートワークさえできれば東京にいる理由がないぐらいではないでしょうか。実際に軽井沢を含めた佐久地域に、30代の移住者がどんどん集まっています。


── まとめとなりますが、柳澤さんの今後のビジョンを教えてください。

この長野県の佐久広域圏で新しい働き方、新しい地域への貢献の仕方、新しい人材のシェアの仕方を見つけていきたいです。佐久市は東京から新幹線で70分という好立地であるので、ここで上手くいかなければ全国どこでも上手くいかないだろう、というぐらいの思いでいますね。そしてその新しい働き方というものを適用可能な形で他の地域にも展開していきたいと思っています。そうすることで、首都圏に集まる若者やクリエイティブな人が地方に目を向けてくれるのではないでしょうか。


── 最後に、東大生に向けてのお言葉をお願いします。

地方に来ることはもちろん大歓迎ですが、一方で東京で揉まれることは非常に大切であると思っています。僕らが活動をしていて面白いなと思う人って結構東京で揉まれて自分のモヤモヤを抱えて、その後に自分が暮らす場所は東京ではないと自分自身で気付いて移住してきた人だと思っているので、しばらくは東京で揉まれてほしいです(笑)。子育てをする段階などで、きっといつか地方に目を向けるタイミングが来ると思うので、その時に地方に移住することを真剣に考えてくれたら嬉しいですね。一見つまらなさそうに見える地方はよく見るととても面白いことが起こっている可能性を秘めています。社会や組織に埋もれてしまいそうな東京で無理に頑張るより、個人としての力を発揮しやすい地方で頑張るのも素晴らしいことだと思います。

東大生のキャリア職離れをみても分かる通り、中央官庁の力もだいぶ弱まっていると感じています。日本を変えようと思ったときに、東京から変えるのではなく、地方から変えていくのも一つの戦略なのではないでしょうか。佐久でお待ちしています(笑)


── 貴重なお話をありがとうございました。

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