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文系の僕がまちづくりに携わるようになって ~柳澤さんインタビュー vol.2~

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2021/05/20

文系の僕がまちづくりに携わるようになって ~柳澤さんインタビュー vol.2~

# 文学部

# 文科Ⅱ類

# 大学院

今回は、柳澤拓道さんのインタビューvol.2をお届けします。 柳澤さんは文科Ⅲ類から文学部社会学科に進学し、UR(都市再生機構)で12年間勤務されたのち、現在は休職し長野県佐久市で地方創生へ注力されています。

vol.2では、柳澤さんが就職活動を開始されてからUR(都市再生機構)へ入社されるまでの日々を振り返っていただきます。

  ── 柳澤さんは本当に多くのことを深く考えていらっしゃったようですが、学部卒で就職するのではなく、大学院に進学するお気持ちはなかったのでしょうか?

実は当時、学部卒で就職するのか大学院へ進学するのかを迷っていました。この二者択一の迷いに決断を与えてくれたのは、先に述べた社会構築主義の考え方でした。つまり社会を学者という目線から見るよりも、社会に出ていきその中から社会を観察した方が、ある意味でより本質的に社会を知ることができるのではないか、ということです。こうして、まずは3年間働いてみようという思いで、就職活動に踏み切ることにしました。

就活における軸に関しては、私はお金稼ぎには興味がなかったので、公務員・インフラ系・まちづくり系・電鉄系など、人々の生活の根幹をなすお仕事に関わりたいと思っていました。


  ── 就活で苦戦された記憶はありますか?

意外と大変だったという記憶があります。絶対通ると思っていたところでうまくいかないこともありました。自分がお金への興味が薄かったこともあり、面接官には公務員向きの人材として捉えられていたようです。例えば電鉄系の面接で自分は「ローカル線で何かやりたい!」といったようなことを述べたのですが、彼らとしては不採算のローカル線の廃線を考えている。その思いを汲み取りつつも、本心としてそうした自分の興味を語ってしまう自分。ビジネスの最前線にいる企業の人事さんとお話をすると、やっぱりそこの価値観のミスマッチというのがどうしても避けられず、辛かったですね。


  ── 最終的にUR(都市再生機構)をお選びになった理由を教えてください。

URのプロジェクト採択基準は、社会のためになることであるのなら、大きな利益が出ないとしてもマイナスでさえなければやってもよい。という価値観を持っている会社だと感じました。この点で他の企業と比べ、自分の価値観とあまり違わないと感じました。他の企業の面接中にも「君はUR向きだよね」と言われたこともあったぐらいですから(笑)。そうした中で最終的にURへ入社することを決意しました。


  ── 実際に入社される前と後で、想像していたお仕事にギャップ等はありましたか?

主に首都圏の大規模事業に携わらせてもらったのですが、企画や事業に携わった大きなプロジェクトが形になっていくことに喜びを感じつつも、今自分が関わる事業は本当に世の中のためになっているのか、ということに葛藤を感じることもでてきました。

また自分の担う業務内容に関しては、企画・技術面での貢献を希望していたのに事務職(バックオフィスを担う仕事)と技術職(まちづくりの企画・事業を担う仕事)を行ったり来たりする日々が続き、それがもどかしかったです。国交省を監督官庁として設立された組織なので、文系なら事務職、理系なら技術職という固定観念が根強く残っており、(自分の希望は割と叶えてもらったほうなのですが)まちづくりに特化して働き続けたかった私にとっては、事務側の作業も担う必要があるのが少し大変でした。今では民間のデベロッパーだと文系理系を分け隔てなく配置されているらしいですけどね。


  ── まちづくりというと、工学部の建築学科や都市工学科などをイメージしますが、入社後に専門分野の知識の差を感じることはありましたか?

周りには一級建築士の資格を有している人も多かったので、建築面での知識不足が故に会話に参加することができない場面もあり、それは苦労しました。とはいえ、事務職と技術職と言っても、学生生活におけるたった2-4年間の差ですから、長い職業人生を考えるとそこまで大きな差ではないと思います。だからこそ文系理系という分け方に不満を持っていたというのはありますね(笑)。

また大学で学ぶ街づくりと実際デベロッパーが展開する街づくりは別物だと感じました。

デベロッパーが担う実際のまちづくりは、企業やステークホルダーにとっての経済活動であり住民にとっての政治活動でもある。経済活動である以上どうしても採算重視になりますし、行政手続きや補助金のためにアカデミックな議論を「利用」する側面もあります。学校で学ぶプラトニックな「まちづくり」というのは実際にはあり得ないので、社会と接続したときに、正論だけでは通らない部分をどう調整するのかは難しいと感じます。


  ── 入社して1年後に配属が変わり、あまり希望していなかった事務方の担当となったとお伺いしました。当初は3年間やってみようと、そういう気持ちで就職されたとのことでしたが、転職を考えたりされる機会はありましたか?

3年ぐらい働いていくと徐々に感覚が麻痺していくというか、組織に慣れていったんですね。3年で転職する人も多いと思うのですが、組織に適応したことで、もうちょっとやってみようという思いが生まれてきました。自覚しない間に組織の人間になっていくので、怖いですよね(笑)。自分の怠慢を棚に上げて言いますが、これは日本型組織の悪いところでもあると思っています。自分の個人としての声を失い、自分の考えの中に組織の考えが入り込んでくる。僕も考え方が「URの柳澤」としてのものにシフトしていきました。

でも個人としての声があったうえでの仕事じゃないとつまらないしと思います。海外では行政でもプロジェクト単位で人を雇っていることを知りました。日本でもデジタル庁などでこうした採用方式をとっているみたいですが、まちづくりの分野においてもそういう動きがあってもいいですよね。もっと流動性があるといいなと思っています。


  ── そんな中で国交相へ1年間出向されたと思いますが、官庁で働く1年間はいかがでしたか?

外から会社を見るというのは非常にいいなと感じました。僕は再開発法と区画整理法の法律改正・税制の改正延長を担ったのですが、1年出向したことで、外からURのやり方を見つめ直せたのはいい機会でしたね。


  ── 別の視点に立つことで気付くこともたくさんあるのでしょうね。国交相からURに戻ったあと数年働いたのち、大学院に進学されたと伺っていますが、なぜこのタイミングで大学院を選択されたのでしょうか?

入社10年目で子供が産まれたのですが、まもなく妻が仕事に復帰することになりました。子育ての一部を任された中で、育休という選択肢が浮かびましたが、大学院は比較的時間に融通の利くという情報も耳にしていたので、せっかくなら育児と勉強を両立させよう、という思いに至り、公共政策大学院で学びを深めることにしました。ここでは1年間政策研究を行い、修士号を取りました。経済学や統計を用いてまちづくりを分析する中で、科学としてのまちづくりとは何だろう、ということを考えるようになりました。


  ── 家族のことを大事にしながらも、常に学び続ける姿勢を私たちも見習いたいです。