就活
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2021/11/08
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今回は内藤典子さんのインタビューvol.2をお届けします。内藤さんは文科Ⅲ類から文学部社会心理学科に進学され、リクルートで7年間勤務されたのちに退職され、現在は東京都庁の福祉保健局でご勤務されています。インタビュー当時はオリンピック・パラリンピックの組織委員会でご勤務されていました。vol.2では、リクルートでどのような仕事をされていたのかや、東京都庁への転職に至った経緯を深掘りしていきます。
ーリクルートの中ではどのようなお仕事をされていましたか?
内藤さん
私は少し特殊な配属でした。ちょうど私が内定者の時にリクルート事件というのが発覚した後で、新任の社長の元で新規事業開発室というのができてそこに配属になりました。それ以降も新規事業の開発に携わる部署に配属されていました。
ーいわゆる基幹事業ではなく、ずっと新規事業に関わるお仕事をされていたということですか?
内藤さん
そうですね、その後も新情報誌開発室というところやメディアデザインセンターというところに配属されました。メディアデザインセンターでは、ゲームを作ったりとかキャラクタービジネスをやったりと、新しい試みを色々な人を集めてやっていました。私自身は「ムック」というマガジンとブックをミックスしたものを作るというのをやっていました。ムックというのは、マガジンとブックのいいとこどりをしたもので、幅広く、長く店頭に置いてもらえるものです。リクルートが出版しているじゃらんや、住宅情報やFromAなどの情報誌と連携して、長く楽しめるコンテンツを編集して出していました。
ー今の大学生はベンチャーに興味がある人が多いと思うのですが、経験された立場としてそのような新規事業にはどのような困難さがあって、またそれを勧めたい、勧めたくない等のご意見があれば教えていただきたいです。
内藤さん
リクルートにはRINGと呼ばれる、グループを作って社内提案をして、グランプリに選ばれるとお金も人もつけて事業をアシストしてくれる制度がありました。だから、やりたいことがある人にとってはすごくいい会社だったと思います。自分ではなく会社がリスクを背負ってくれるので(笑)。ただ、ビジネスの種というのはそんなに多くあるものではなく、専門でビジネスを見つけなければならない仕事は、やっても進んだ感のないジレンマというのはありました。
ー実際に新規事業を立ち上げた中で、面白かったものや成功体験になったものがあれば教えていただきたいです。
内藤さん
私がやったことではないのですが、当時ゲームソフトを始めた頃でした。メディアデザインセンターの担当の方が財閥くんというゲームを作られてとてもヒットしたり、ポケモンをキャラクタービジネスのコンテンツとして売り出したりもしました。
ーリクルートでご勤務されている時に楽しかったことや辛かったことを教えていただけますか?
内藤さん
魅力的な方々とすごく柔軟な働き方ができたので、次々と楽しい仕事をさせてもらっていたと思います。しかし、いわゆるリクルートらしい仕事は営業や制作であり、会社のトップに企業戦略を提案する醍醐味や伝統があります。私はそのような部署につかなかったので、贅沢ですが、さみしい思いもありました。
ー実際に仕事をする中でたくさんの魅力的な方々との関わりがあって楽しかったということは、元々リクルートを就職先として選んだ時の、「人とのコミュニケーション」のような人を念頭にしたビジョンというのに相違はなかったということですか?
内藤さん
なかったですし、就職したことに対して全く後悔もないです。当時の同期とは今も仲がいいですし、以前リクルートに勤めていたということで、簡単に様々な人と繋がれる会社なので、就職したことはとても良かったと思います。長く勤める方々が少ない会社でもあり、リクルートの中で一定の経験を経て次に進むという方々が多いですね。
ーどうして転職されたのでしょうか。またなぜ転職先として東京都庁を選ばれたのか教えていただけますか?
内藤さん
辛かったから逃げたというわけではなくて、自分の時間をこれだけ使うのであれば、社会のためになることをしたいと思いました。民間企業で営利を追求していくというよりも、もっと、何をしていても自分が目立たなくても、社会のためになるような仕事がしたいなと思いました。その当時、たまたま都庁が経験者採用という、一定期間民間企業に勤めていた人を、その経験を考慮して採用するという制度を始めていたのでそれで転職をしました。