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【経産省→独立】経産省での若手キャリアと独立のきっかけ~栫井さんインタビュー vol.2~

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2021/12/12

【経産省→独立】経産省での若手キャリアと独立のきっかけ~栫井さんインタビュー vol.2~

# 理科Ⅰ類

# 工学部

# 公務員

# 起業

# ベンチャー

今回は、理科Ⅰ類から工学部計数工学科へ進学したのち経済産業省に入省、現在は独立して株式会社Publinkを運営している栫井誠一郎さんのインタビューをお届けします。vol.2 では経済産業省への入省とその後の転職・独立についてお話を伺います。

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──ここからは就職とお仕事の内容についてお伺いします。栫井さんは学部卒で経済産業省に入省されていますが、修士課程への進学ではなく就職を選んだのはなぜですか?

栫井さん

計数工学科は4年の最後の半年で研究室配属になるので、その期間で研究室生活のイメージが大体つくんですよね。その「想像の範囲内に収まってしまう」修士の2年間よりも、外に飛び出して成長したいと考えました。また、大学にずっと残り続ける人より、一度大学の外の社会を経験してから大学に戻ってきた人の方が目立って活躍している、と父に教わったことも後押しになりました。

その上で、経済産業省を選んだのは自分の選択肢を狭めないためでした。経済産業省では担当する業界が1、2年ごとに変わるので、自分自身にどの業界・仕事が合っているのか発見することができると思いました。また、就職の面接の際に会う方々が大変魅力的であったこと、「国の目線」に興味があったことも理由です。世間的にはあまり良い評価を得ないこともある官僚が、これほど熱意を持って国を良くすることに取り組んでいる魅力的な方々であることに驚きを覚え、その理由を知りたいとも思いました。

──では、民間ではなく省庁を選んだのはなぜですか? また国家公務員一種試験(当時)の対策にはどれほどの時間を要しましたか?

栫井さん

お金ではなく成長を重視したからですね。民間の会社に入って金稼ぎのシステムの中に組み込まれてしまうと、自分の成長に利益によるバイアスがかかってしまうと思いました。価値の低い商品を高く売りつけるだとか、あるいは会社の得意なサービスに偏った目線を持つといった体験は避けられませんよね。それに対して国家公務員なら利益バイアスがかからない形で、社会に対して何が良いかをフラットな視点で考えながら成長できると思いました。ただ、お金稼ぎの中で伸びる能力もあるので、今思うと一長一短ですね。

公務員試験の対策にはほとんど時間を取りませんでした。一次試験の数的処理と物理には絶対の自信がありましたし、逆に時事問題は「4択なら25%は正解できるだろう」と思っていました(笑)。電気電子などの専門分野は専門学校のビデオで10時間程度勉強して、勉強期間は1ヶ月半くらいでしたね。結果1万人中6位でした。

面接を受けるにあたって私が一つだけ気をつけていたことは、「本音で話せるようにする」ことです。面談では5日間ひたすら朝から晩まで拘束されるので、自分を偽っていたら絶対どこかでボロが出ると考えました。「自分は本当に経済産業省に行きたいのか」「給料とか低いんじゃないか。それでも本当に行きたいのか」と何度も自問自答して、本音を整理しました。その結果、想定外の質問が来ても、全部本音で自信を持って答えられるようになりました。それに尽きますね。

──数多くの省庁の中でも経済産業省を選んだのはなぜですか?

栫井さん

省庁の合同説明会での印象が良かったからですね。経済産業省と文部科学省、総務省のお話を聞いたのですが、経済産業省のブースではワークショップを行った他に職員の方と一対一で話す時間も設けていただきました。試験の官庁訪問では20人ほどの方と面談するのですが、その過程でも職員の方々を非常に魅力的に感じました。

──国家公務員総合職になるのは外資系企業に就職するのに比べて給与が見劣りする部分があると思います。これは私や周囲の友人の悩みなのですが、そういった相対的な給与の低さは官僚を目指す上でネックにはなりませんでしたか?

栫井さん

それに関してはあまり気になりませんでしたね。そもそも周りが9割大学院に進む中で会社や給与の話題自体があまり上がりませんでした。よく話題に上がるのは「どういう技術を勉強しているのか」だとか「どこの研究職に行くのか」でしたね。そこは文系と理系の違いではないでしょうか。

──実際に入省してどのような仕事をされたのですか?

栫井さん

やはり20代の間は自分の成長を重視していたので、とにかく様々な仕事をしようと思い毎年異動希望を出していました。例えば社会人1年目では経済政策の司令塔のようなところで、2年目では外国人留学生の人材政策を、3, 4年目では内閣官房で民間企業からの出向者と働き、5, 6年目は再び経済産業省で課長補佐として働きました。

経済産業省は企業の経営者の方と頻繁に会う性質上、課長補佐への昇格が早いんですね。給与は係長のものなのでなんちゃって課長補佐みたいなものですが(笑)。 

課長補佐になると4人ほどの方に部下になってもらってプロジェクトマネジメントをするようになるのですが、自分の体さえ持てばいくらプロジェクトを抱えてもいいんですよ。それぞれの上司を説得してプロジェクト優先順位を付けて、新しく抱えた仕事に急いでキャッチアップしていくという経験はかなりベンチャーらしさがありました。この省には、「いきなり放り込まれてもとりあえず動こう!」みたいな人が多く、そういう人が向いていると思います。

──そのようなお仕事を経験した後に独立したいと思ったのはなぜなのでしょうか。

栫井さん

決定打となったのは東日本大震災でした。それまで原子力安全・保安院(現 原子力規制庁)は目立つ部署ではなかったのですが、原発事故で様々な局のエース級の先輩方が一気に集められたんですね。しかし、その危機対応のプロジェクトの進め方が統率取れていなくて非効率に見えました。自分がこのまま官僚でいて何か日本の社会に大事なことが起こったときに価値を発揮できる人間になるのか疑問を持ちました。自分が官僚の肩書を失ったときに一体どう活躍できるのか悩んだ結果、官僚としての経験に合わせて他のことも知って「掛け算的に」成長しようと思いました。

また、優秀であるはずの官僚たちに、社会に対してより価値を発揮してもらうために、自分が官と官、官と民、中央と地方の壁を壊して、橋渡しのビジネスをやろうと思ったんですよね。優秀な官僚のたちがそのまま消耗していくのを防いで、自分が民間スキルを高めて橋渡しとなり、百万人に感謝されるような社会貢献をしようと考えました。

また、実は官僚をやっているときに後輩のエンジニア・コンサルタントと4人で「週末起業」をしていました。収益化はしていなかったのですが、Webサービスのプロダクトコーディングをやっていました。しかしそのときの自分は、コーディングもできない、お金の稼ぎ方もわからない、プロジェクトマネジメントもできない、でスーパー無力だったんですよね。普段公務員として企業の偉い方と会ったり億単位の予算を投資しているだけでは、自分にスキルが身についていないことに気付けなかったと思います。こんな感じで他の組織では通用しない人間になってしまうことに怖さを感じていました。

──プログラミング経験なしでの独立と伺いましたが、実際にどのようなお仕事をされていたのですか?

栫井さん

0からプログラミングをやっていました。会社自体はシステム開発受託の会社をゼロから立ち上げて、営業経験も積みましたね。ひたすら民間でお金を稼ぐ、スキルを上げることを目的としていました。

──その次に起業した株式会社Zpeer(ズピア)はどのような会社なのですか? 栫井さんはZpeerでどのような経験を積まれましたか?

栫井さん

獣医師専用のメディア・プラットフォームビジネスです。その獣医師に対して製薬や医療機器、健康食メーカーなどB to Bのデジタルマーケティングの仕事をしていました。当時のウェブサービスはとにかく無料でユーザー数を稼いで、広告や課金でマネタイズするのが主流でした。そうではなく、ある程度のユーザー数を獲得した時点で、そこにコンサルティングを掛け合わせて収益を得るというZpeerの考え方は当時大変珍しく面白いものでした。

共同創業者である藤本裕氏はMBAトップクラスの成績で、外資のコンサルでバリバリに活躍するような人間でした。まるで「アクセルしかないビジネスモンスター」のような人で、もともとの製薬メーカー向けコンサルタントとしての経験を活かして営業やプロダクト納品の仕事を中心に毎日午前3時まで行っていました(笑)。一方私は、システムの要件を定義して発注して工程管理して……といったシステム的な部分や、ユーザーの満足度、UI、会社のコミュニティとしての雰囲気づくり、予算などその他全般を担当していました。たとえば、投資会社とのディスカッションにテクノロジー責任者として出席して、一人で会社のビジョンや事業計画を説明したこともあります(笑)。会社の運営経験を積んでいたという感じですね。


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