就活
就活
2022/02/13
# 公務員
# 金融
# 転職
──次に就活について伺いたいのですが、就活を初めたのはいつ頃だったでしょうか?
石田さん
学部の時は就活はしなくて、大学院に入ってから就職浪人したので、2回就活をしたんですよ(笑)。大学院1年目、僕たちが1回目の就職活動のときも、あんまり準備しませんでした。ババっと皆が受けそうなところを受けて、ダメだった、という感じですね。それでも、自分の中でどうしても行きたかった企業も特になく。まあみんなが受ける有名どころ受けました、みたいな感じだったので、悲壮感も悔しさもなく、どうしようかな、という感じで淡白に終わったのが1回目の就活でした。
受けた業界としては、総研・コンサル系、東電などのインフラ系でした。
2回目は、経済産業省の内定を比較的早く取れたので、就活を始めてから2ヶ月程度で終了という形でした。
──就活、特に2回目の就活について受ける企業を選ぶ際の判断基準のようなものはどこに置いていましたか?
石田さん
親がふたりとも公務員だったのもあり、元々金儲けにそんなに関心が持てなかったので、なんとなく公務員も選択肢にありました。
環境問題も、今こそSDGsとかで盛り上がっていますが、環境問題に対する世間への関心が薄い時代でした。ただ、僕は大学・大学院で環境を学んでいたので、環境問題を仕事で扱いたいという思いから色々見てまわりました。その中で、官庁は興味がありました。
ただ、環境省は色々旗は振るけど、実効性があんまりないイメージで、経産省のエネルギー政策が環境問題に対して実効力があるんだろうなと思ったので、経済産業省にいきました。
あとは、経済産業省は省員の人も元気な人が多かったので、そこはおもしろそうだなというのはありましたね。
──経済産業省入省後に、どのような仕事をされていましたか。
石田さん
1年目は環境政策の取りまとめ課のようなところにいました。役所のときは「ロジ」という呼び方をしていましたが、外部からの問い合わせや政策の検討依頼、議員からの質問をどこの部署で対応するかの割り振りを全体の窓口として行っていました。
1年生が窓口として問い合わせを受け、その後、割り振られた人が対応し、1年生経由で問い合わせや質問への回答が戻っていくい、というのが経済産業省の組織でした。
一方、当然資料のベースを作成するなどの業務もありましたし、国会答弁の作成にも携わりました。このようなことが 1年目のメインの仕事でした。
その後は、製造局というものづくりの部署に異動し、革靴などの革製品や紙の製品の産業振興を担当していました。
その次は、資源エネルギー庁に異動して、エネルギー政策の技術開発を担当して、その途中で、エネルギー効率の高いものを使うことを促進するための税制度を立ち上げよう、というプロジェクトに携わっていました。
そんな感じで4部署くらいを経験しています。
──官僚はその労働の過重さから、現代の東大生には忌避されることもありますが、当時の東大生は官僚という職業をどのように受け止めていたのでしょうか?
石田さん
まあ、今ほど、夜中まで働くことに対して、世間がブラックだとか、おかしいとかそういう雰囲気ではなかったですね。官僚の間でも、労働時間が多いのはそういうものだ、という認識でした。
しかし、一方でやっぱり国を動かすっていうことができるのは魅力でした。特に経済産業省の場合は、国土交通省とか農林水産省とかと比べて既得権益がないんですね。産業見てます、と言っても、なにか新しいことをどんどん打ち出していかないと存在意義がない。そういう意味で新しいことにチャレンジする風土はありました。
それで国全体のありように対して提言できるって意味で、今残ってる同期もそうですけど、やっぱり国全体を思う意識が強くて、そういうところに興味を思ってる人達からの人気はそれなりにあったという感じですね。
──4年ほど経済産業省で働いた後、三井不動産に転職されますが、経済産業省をやめたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
石田さん
4年半ぐらい経済産業省で働いていたのですが、そこで言われていたのは、役所の人間は長く働くともう民間で働けなくなる、ということでした。価値観もそうだし、仕事のやり方も全然違うので。
それで、3年目ぐらいから意識し始めて、色々と見ている中で、結果的に三井不動産が面白そうで受けてみたところ、受かったので行きます、という感じでした。
──ずっと省庁で働く、という選択肢もあったと思うのですが、そうされなかったのはなぜですか?
石田さん
労働時間が長かったのもそうなんですけど、仕事って100%やりたいことだけやれる、というのはなかなか難しくて、やれる仕事の中で、自分がやりたいこと、楽しいことを見つけていくものだと思うんです。それにしても、経済産業省の時代は拘束時間がすごい長い一方でやりがいもゼロじゃないんですけど、その密度がとても薄いな、と。
自分がかけている労力と、自分がいいなと思う仕事の密度との釣り合いがあまりにも取れておらず、もう嫌だな、と。
給料が安いのもそうですし、役所でどれだけ仕事ができても、まあ役所の人だからね、というふうに同じ土俵に立って評価されないのも嫌でしたね。
だから、やはり経済産業省でずっと働き続けるっていうのは多分なかったんだろうと思っています。三井不動産に落ちててもどこか別に転職はしてたんだろうなという気がしますね。
──転職時に感じた三井不動産の魅力はどのようなところでしたか?
石田さん
役所は机上の議論が多いんですね。最終的には政策という形で当然実経済に落ちてくるわけですけど、やはり議論しているときは机上の話が多く、実業じゃない印象が強かったです。それに対して、ものづくりはリアルですよね。
転職してコンサルになっても、同じようなことですし、もう少し実業によったときに、不動産は間違いなく実業だし、作る建物がでかいんですよね(笑)。
とにかくでかいのは強そうだな、というのと、半官半民じゃないですけど、利益だけを追求するのでなく、まちづくりっていう公の部分も含めて考える必要があるのも、おもしろいかな、と思いました。